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あすの催し、山陰の ニュース 他  (出雲)(石見)(鳥取) [あすの催し]

あすの催し、山陰の ニュース 他  (出雲)(石見)(鳥取)                      (山陰中央新報調べ)

【4月8日(水)】: イベント(出雲)

セラバンド筋力体操 午後2時、安来市安来町のやすぎ懐古館一風亭。
行政相談 午前9時~正午、安来市安来町の中央交流センター。無料。
スポーツ吹き矢 午前10時、安来市安来町の観光交流プラザ。250円。
写真展「大成清美私的傑作等2集」 午前10時(初日は午後1時)~午後5時、
松江市東朝日町の中国電力ふれあいホール。12日午後4時半まで。
行政相談 午後1時~4時、松江市末次町の市役所別館1階消費・生活相談室。無料。
オープン記念感謝デー 午前10時~午後7時、雲南市三刀屋町根波別所の
みとや深谷温泉ふかたに荘。しし鍋無料サービス、焼き鳥やサバずしの屋台など。
行政相談 午後1時~3時、雲南市掛合町掛合の掛合体育館。無料。
ジャズ・ライブ 午後7時、出雲市塩冶神前2丁目のNight&Day味巣亭。TRIO。ピアノ・
福田重男、ベース・森泰人、ドラムス・市原康。5千円。味巣亭電話0853(23)5102。
行政相談 午前9時半~11時半、出雲市大社町杵築南の市役所大社支所。無料。

【4月8日(水)】 : イベント(石見)

行政相談 午前10時~午後3時、浜田市殿町の市役所1階市民相談室。無料。
コレクション展 魔法の刺繍(ししゅう) 午前10時~午後6時半、益田市有明町の
グラントワ石見美術館。要観覧料。5月25日まで(火曜休館)。
乳幼児健康相談 午前9時半、益田市常盤町の子育て支援センター。無料。9時半は
5カ月以上児、午後2時は5カ月未満児。母子手帳持参。

【4月8日(水)】: イベント(鳥取)
わいわいボードゲーム 午後3時半、鳥取市西町3丁目のわらべ館。要入館料。
特別展「弓浜絣と伯州綿」 午前9時半~午後5時、境港市花町の海とくらしの史料館。
大人400円、小中学生・高校生100円など。6月22日まで(火曜休館)。
木の手創り額佐伯学作品展「木の向くままありのままに」 午前10時半~午後4時半、
南部町福成のぎゃらりー櫂。5月17日まで(火曜休み)。


木次線 鉄路に託した地域の未来 (山陰中央新報調べ)

雪の残る船通山(1142メートル)を島根県奥出雲町横田、JR木次線の出雲横田駅から望む。足元にはツクシがひょっこり顔を出している。3月下旬、中国山地に春が来た。

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鳥取との県境にそびえる船通山はヤマタノオロチを退治したスサノオノミコトの伝説が残る。
この山を源流とする斐伊川流域を巡る鉄路が、宍道(松江市)-備後落合(広島県庄原市)
間を結ぶ木次線だ。

 明治末期、近代製鉄の登場で中国山地のたたら製鉄が衰退期に入ると、
人々はたたら操業に使っていた木炭の外部への販売に活路を求めた。木次線整備の
主な目的は販売用木炭の運搬で、推進したのは松江藩の三大鉄師の一つ、
絲原(いとはら)家(奥出雲町大谷)の13代当主武太郎(ぶたろう)(1879~1966年)だった。

 家伝によると、絲原家の先祖は戦国武将・山中鹿介で、初代善左衛門が1624年に広島から移住。本宅を製鉄炉のすぐ近くに備え、多くの職人や家族も同じ集落に住む「職住一体」を伝統とした。

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 武太郎は鉄道建設を促進するため、最初に民間から出資を募り、一部区間を整備した。
1914年に簸上鉄道の社長に就き、宍道-木次(雲南市)間の整備に着手。
16年に開通した線路は、レール幅の狭い軽便鉄道として認可を受けたのにもかかわらず、
国鉄と同一の幅だった。木次以南の建設を国に求めていた武太郎のアイデアだった。

 その後、武太郎の運動が実り、32年に国の事業で木次-出雲三成(奥出雲町)間が開通。34年には簸上鉄道が国鉄に譲渡され、37年に備後落合まで全線開通した。

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 絲原家がたたらから完全に撤退したのは、木次線建設途上の23年だった。
生前の武太郎を知る孫の絲原安博・絲原記念館学芸専門員(64)は、自らも私財を
投じてまで武太郎が鉄道建設を進めたのは、たたらで生計を立ててきた多くの人々の
雇用を守る「義務感からだった」と話す。「皆で糊口をしのぐには『ポストたたら』が
必要だった。それが木炭」と指摘する。

 鉄道延伸で出荷量が増えた木炭生産は、島根の主要産業になり、戦後も地元経済を
支えた。60年の島根県の生産量は7万8千トンで岩手、高知に次ぐ全国3位。絲原家も
首都圏に支店を置き、事業を展開した。

 恩恵は沿線全体に及んだ。雲南市大東町下久野の落合哲夫さん(90)は、山で炭を焼き、
近くの下久野駅で木炭やコメを貨車に積む作業に汗を流した。
「鉄道と駅があるから仕事があり、人が住み、文化も伝わった。木次線は最高ですよ」

 武太郎が鉄路に託した思いは、沿線の人々の心に今も刻まれている。















 






















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